|
作品を語るということは多くの意味を含むところがある。当サイトでもカテゴリーを増やしたり、ジャンルを変えたりしてはいるが大きなくくりでいうと【作品について語っている】わけである。一般的によく目にするものがエンターテイメントな作品の批評である。映画やアニメ、漫画や小説、ゲームなどのレビューである。
インターネットというメディアが登場してから早数十年。今では誰もが気軽に「オレ思想」を発信できる社会となった。そして、多く目にとまるものが【批評家気取りの毒舌】である。作品のダメ出しをしているわけだが、早い話、悪口しか言っていない。作品について、業界について、技術について、多くのことに精通していなければ多くのことを語ることができない。つまり、毒舌であることは造詣が深いことにもつながる。自分の博識なところをひけらかし、作品を、作り手を「下」に見ることで何かの優越感に浸りたいのかもしれない。それに賛同する者も似たり寄ったりなのかもしれない。それって全然高度ではないことに気づかないのだろうか。イマジネーションがないことに気づかないのだろうか。自分の知識の範囲内だけで評価を下すことがどれだけ簡単なことかわかっていないのだろうか。そんな批評には全く興味がない。
このテーマを書こうと思ったのも、ある批評を読んだからだ。その批評には巧みな言葉遊びと作品に対して敬愛する想いがつづられていた。全く興味がなかった。いや正確に言えば、悪い意味で見てもいないのに半分判決が下っているような想いがあり見る気にはならなかった。食わず嫌いなようなもんだった。そんな感情を覆した批評であった。作品を見たが、その批評の文言は過大評価でも誇大広告でもなかった。真価はそこにあったように思える。
他者の作品を語る時はこうであってほしい。オレもこのサイトを通じて時折ビミョーに毒舌かもしれないが(←微妙に?)警告はするが、ダメだし悪口しかいわないような粗末なものにはしていないつもりだ。一人でも多くのヒトにサイトのことを知ってもらって、そこに隠れたアイデアを知ってもらい、同じようなことを悩んでるのはココにもいるぞ、て知ってもらい次のクリエイティブにつなげてほしいと想ってたり、影響を受けた批評同様にサイトやクリエイティブについて敬愛してコラムを配信しているつもりだ。
|